好きだからこそ ~自衛隊を辞めるまで~
以前、私が陸上自衛隊に入隊した経緯をブログで紹介させて頂きました。今回は、自衛隊を退職した経緯について、ご紹介します。
1999年に成立した「周辺事態法」、これが私が自衛隊を退職するきっかけとなりました。いろいろな議論は当時もあったのですが、すごくざっくりいうと「日本の周辺で武力衝突があって米軍が対応することになった時、日本に大きな影響がありそうなら、自衛隊が安全な範囲でフォローするよ」という法律でした。
自衛隊には16歳から20歳までの5年間勤務しており、うち3年半を神奈川県横須賀市、1年半を山形県東根市で過ごしました。自衛隊4年目、19歳になる頃、大学進学で関東に来る香川の同級生も何人かいまして、同級生の大学の友達と遊ぶ機会もよくありました。彼らにとっても、同い年で中学を出てから自衛隊に入っている人間は珍しかったようで、いろんな話をしていました。
そんな中、友達の一人に聞かれました。
「周辺事態法って自衛官的にどうなの?何かやばくない?」
恥ずかしながら、当時の私は『何それ、美味しいの?』という程度の認識で、少し聞いたことはありましたが、よくわかっていませんでした。大した階級でもなく、日ごろの訓練や勉強に精一杯だったので、自衛隊を取り巻く法制度や軍事外交情勢等への関心はそこまで無かった、というのが正直なところです。とはいえ、そう返すわけにもいかないので、
「まあ、いろんな議論もあるし、実際何とも言えないね」
と、返すのが精一杯。友達は「自衛官もそうなんだ~。そうだよね~」と返答し、何とかその場をしのぎました。
『これはいかん』と。『自分が属する大好きな仕事のことを何も知らないのはいかん』と。それ以来、自衛隊に関する新聞やニュースを見るのはもちろん、左右問わず、自衛隊や軍事情勢に関する本を読むようになりました。「お前、そんなに本読む奴だったっけ?」と言われたこともありました。
しかし、自衛隊を取り巻く法制度は憲法9条をはじめとして、非常に微妙なものです。
(え?自衛隊って『憲法違反』?)
(有事の際、外国軍に捕まっても自衛官は軍人じゃないから捕虜扱いされない?)
(『周辺事態法』自身が憲法上微妙じゃない?)
(でも、日本に影響あるなら自衛隊が行くのは当たり前じゃ?)
等々、ひとつの疑問が他の疑問を、さらにもっと異なる疑問が出てきて頭はグルグル。「自分はこれしかない!」と感じて、大好きであった仕事だったからこそ、自分自身が自衛隊の存在に疑問を持つことが許せなかった。
吉田茂元総理が防衛大学の卒業式で「君達が日陰者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ。」と言ったことがありますが、まさにその通り。災害派遣や海外派遣、空自や海自の外国機・外国船の侵入対応はあったりしますが、幸いにも太平洋戦争以降、戦争には至っていません。もちろん、私自身も戦争などない方がいいに決まってるわけです。
しかし、「いざ」という時のために訓練は続いています。これは一般企業でいうと、入隊してからず~~~~っと研修をやっているようなもの、と当時の私は感じました。自分自身は、「如何に効率よくミスなく研修をこなせるか」。上司は「如何に部下に対していい研修を与えられるか」。これが自衛官の仕事と捉えるようになっていました。
自衛隊が好きだからこそ、このジレンマが許せない。整理しきれない自分自身も許せない。
「~~って最近悩んでるんですが。。」と上司に相談しても、「それはお前、考えすぎだよ」と。それもそうで、そこで「だよな!俺もそれは悩んでるんだよ!」とでも言おうものなら組織が成り立ちません。究極の所で「右向け右」と言われたときに「いや、自分は左だと思うんですよね」と言い出す人がいたら、規律や作戦、運用に支障をきたします。
そこで19歳から20歳の頃、自分の仕事に対して悶々々々々々々とし続けた結果、「このままの気持ちで、自衛隊を続けることはできない」と感じ、退職を決意しました。
後日、私の送別会が開かれたとき「考えすぎだよ」と言った上司が、声をかけてくれました。「お前が悩んでいることは理解できる。しかし、立場上同調することができないし、俺には家族がいる。今の仕事を辞めて家族を路頭に迷わせるわけにはいかない。だからこそ、お前には期待している」と。お酒も回っていたこともあり、目頭が熱くなったことを今でも覚えています。
でも。でも。好きだったんです、陸上自衛隊が。
阪神大震災の災害派遣で来ている自衛隊に感銘を受けて、「この人たちみたいに、困っている人の役に立ちたい!」と強烈に感じた、誇りある仕事だったんです。だからこそ、悶々としている自分が許せなくなり、仕事に誇りを持つことができなくなった。人間、好きな人がいるときも同じだと思うのです。「好きだからこそ、許せない所がある。大して関心の無い相手であれば、何の気にもならないけど。」
そこで、当時の私は考えました。
「俺が自衛隊を変える。仕事に誇りを持っている隊員が矛盾を感じるような組織のままにしてはおけない。」
だから、自衛隊を辞めて大学に行って勉強して、制服組ではなく、背広組としてキャリア官僚になって、防衛庁(現防衛省)に入り直し、そして、自衛官の皆が仕事に誇りを持てる環境に自分が変える。
そう強く感じ、大学を目指すことになりました。
誤解の無いようにしたいのですが、今も自衛官として日々汗を流している友人もたくさんいます。イラクに派遣されたり、東日本大震災をはじめとした災害対応に従事した同期もたくさんいます。自衛隊を辞めて20年近くたった今でも、彼らのことは尊敬していますし、これからも日本の安全を託していたいと思っています。現在の自衛隊やそれらを取り巻く制度、何より現場で働いている自衛官の皆様を否定するものではないこと、ご理解ください。
さて、退職後、2年間の受験浪人時代を経て、私は大学に入るのですが、紆余曲折を経て、PR会社・広告代理店に就職します。そのお話は、またの機会にご紹介いたします。
蛇足ですが。
私が自衛隊を退職したのは2001年3月。その半年後、9.11テロが起こり、世界はアフガン戦争、イラク戦争に揺れ、そして東日本大震災が起こります。その中で、自衛隊の環境や周囲の評価も大きく変わることになりました。退職を決断するのがあと半年遅かったら、私の人生はまた変わっていたのかもしれません。