15歳の選択 ~自衛隊との出会い~

なぜ高校に進学をせず、自衛隊に入ったのか

「うえむら一郎と、語る会」でお話させていただきました。

「何で、中学校出てすぐに自衛隊に入ったん?」とよく聞かれます。

中学時代、ありがたくも(結果は別にして)生徒会長や野球部主将をやらせて頂いていたので、色々なところでザワザワさせてしまったことは、後々になって聞きました。。

自衛隊に入ったのは、中学2年生の冬、1995年1月17日に起こった「阪神淡路大震災」がきっかけでした。

神戸地域に親戚が多く住んでおり、発災したその週末に学校を休んで(当時第3土曜は授業でした)、父と2人でお見舞いに向かいました。現在とは違い、現地の交通がどうなっているのかわからなかったので、高松から大阪まで船で渡り、そこから神戸まで行けるところまで鉄道で、以後は徒歩で向かったことを覚えています。

現地は言葉が見つからないほどの被害で、「一体自分に何ができるのか」が全く見えないままに街を歩きました。いつも自分の面倒を見てくれた親戚の家々や職場が潰れていたり、傾いていたり。自分自身の無力さに気を落としながら、「何とか役に立ちたい」そう思いながら、頼まれた作業を必死でこなしていました。

一泊させて頂いた親戚の家での翌朝、「一郎くん、学校にお水もらいに行くから手伝って」という親戚。「学校?水?」という頭の中が「?」だらけで向かった小学校。

そこで見たのが、災害派遣で来ていた自衛隊の方々でした。

「この人たちは、何なんだ!?」が最初の印象です。小学校の運動場で支援体制を展開し、水や食料を配り、浴場や簡易宿泊施設を作っているその姿に衝撃を受けました。大災害を前に無力感に襲われていた自分にとって、親戚を、被災された方々を救っている自衛隊の方々の姿はとても頼もしく感じ、その瞬間に「将来、自分も自衛官になって、困っている方々を助ける!!」と心に決めました。

時が絶って、中学3年生に上がった私は「自衛官になる!」という将来の夢を持ちつつ、当時は「高校か大学卒業したら入隊試験を受けてみよう」くらいの考えで、野球部の活動や高校受験勉強に日々勤しんでいました。

そんな中での先生との秋の進路面談。行きたい高校もある程度定まっていた私に「将来、なりたいもんとかあるんか?」と先生。「僕、自衛隊入りたいんです!」と即答の私。そう決めた経緯を先生に長々と説明したことを今でも覚えています。

その数日後『あくまで参考として』ということで、中学卒業後に自衛隊に入隊できる制度があることを、先生が教えてくれました。そのパンフレットに載っている頼もしい先輩方の写真に自分を重ね合わせ、その瞬間、将来の目標が一気に私目の前に迫ります。

入隊の後もしっかりとした教育が受けることができ、給与が支払われる制度があることも自分の気持ちを後押ししました。そして、何よりあの時あの場所で衝撃を受け、憧れた自衛官に「自分自身がなるんだ!」、という強い想いのもと、入隊試験を受けることは即決でした。

その後、両親の反対を祖父の応援で押し切り、入隊試験を受けて晴れて合格。1996年4月、阪神淡路大震災の翌年に、上村一郎は自衛官となりました。

 

その後、規律正しい生活や厳しい訓練を同期や同僚と乗り越えて自らを鍛え上げつつも、5年後の2001年3月に自衛隊を退職することになります。その話は、また別の機会にご紹介致します。

 

 

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