情報まみれの東京時代 ~スルーされる私たちの情報~

「四国4県?愛媛ってあるよね?あと高知だ!徳島って四国?あともうひとつ・・何だっけ?」

「自衛隊にいたの?すごいね!って、自衛隊って何しているとこ?」

自衛隊退職後、予備校から大学にかけて、上記のような声をよく聞きました。自分が大好きだった香川県や自衛隊が、一般の方々に全く知られていないことがショックだった。自分の好きなもの「ここがいいんだ!」「こうやって頑張ってるんだ!」「これが面白い!」、これが知られていない、理解されていない。

これは辛い。

「もっと自分たちのこと、自分たちがつくったものを世の中に知ってほしい!」そう悩んでいる方々の役に立ちたい。そして、いつか自分が大好きなものを社会に発信して、皆にも好きになってもらいたい。

そう感じたのが、私が「広報」という分野に惹かれていったきっかけでした。

トップの画像は総務省が出している情報流通インデックスの計量、という調査結果をまとめたグラフです。「世の中にどれくらいの量の情報が流通しいていて、どれくらいの量の情報が消費されているのか」をまとめたもので、ひと昔前、広報・広告業界の方々が「こんな状況だから情報発信必要でしょ!?」という営業ツールとして使っていたグラフです。結果をざっくりいうと、

「ここ何年かで世に出回っている情報量がものすごく増えたけど、人間が消費できる情報量は大して変化してない。世の中にあるほとんどの情報は消費されていない(スルーされている)」

ということです。

しかも、この調査は平成21年で終了しています。1年前の平成20年は日本で「iphone3G」が発売され、平成22年にはauがandroid搭載のスマホを発売。その後のSNSの発達により、画像や動画の投稿も爆発的に増えています。この調査が今もなお続けられていると、どんな結果が出ているか、想像することは難しくありません。

この情報化社会の中で、どうやってターゲットに情報を消費してもらうのか。公共施設に置かれた萎れたパンフやチラシ。再生回数の上がらない「とりあえずつくって上げただけ」の動画、ユーザー視点の無いHP。これでは、誰も見てくれないし、関心を持ってもらうことなぞ、夢の話です。

東京時代は様々な仕事に従事しました。

自治体広報に携わった時は、ゆるキャラの着ぐるみにも入りました(左記リンク内P3参照)。東日本大震災の時は某省庁に缶詰めで東京の混乱を軽減できるような広報活動を。憧れの野球選手を起用したPRイベントもあれば、障がい者スポーツを社会に認知してもらう広報活動もあり、様々な経験をさせてもらいました。

本社の広告代理店には3年間出向させてもらいました。日本の広告業界のトップを走り続ける社内には、逆立ちしても届かない能力やセンスを持っている方々がたくさんいて、仕事における刺激や充実感が毎日ある中で、自分の能力の低さに何度も心折られました。

終電帰宅始発出社や休日出勤がざらにある環境でしたが、そんな中でも企画が認められて社内表彰を頂いたこともありました。嬉しい反面、周りの方々に迷惑をかけまくった企画でもあったので、素直に喜べない一面もあり。

香川に帰ることを心に決めた直後、東京オリンピック・パラリンピック組織員会の広報担当として出向するお話を頂きました。が、自分の決断を優先してお断りさせて頂き、退職しました。あそこで、出向を受けていれば、今とは全く違った人生を送っていたと思います。

そんな東京時代。

社会人5年目くらいから「香川に帰ろうかな」と感じ始めました。自衛隊時代から盆正月は帰省しましたが、何だか少し、地元が寂しくなってきていたり。「自分が培ってきたことが、何か地域の役に立てるんじゃないか」と思い始めたり。

そんな中、東京の香川県人会で知り合った、参議院議員の磯﨑仁彦先生から「香川に帰りたいんやったら、うちで秘書として働いてみる?」と思わぬ誘いを受けるご縁がありました。仕事や家庭の状況もあり、最初にお誘い頂いてから、少し時間はかかってしまったのですが、2015年の春。8年間お世話になった会社を辞めて、国会議員秘書として香川に戻ってきました。

その話は、また別の機会のご紹介させて頂きます。

東かがわ市を一歩先へ。

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